国境も言語も越える”文字なし絵本” 話題のサイレントブック『イエローバタフライ』の特別な力

【書評(ping)】『イエローバタフライ』(オレクサンドル・シャトヒン/作)

絵本家:広松 由希子

写真撮影/志田三穂子
広松(song) 由希子
編集者、ちひろ美術館学芸部長を経て、現在はフリーで絵本作家、評論家、翻訳家、展覧会キュレーターとして活動。ボローニャ国際絵本原画展、ブラチスラバ世界絵本原画展(BIB)などの絵本コンペの国際審査員を歴任。主な著書に『日本の絵本100年、100人、100冊』など。JBBY(日本国際児童図書評議会)副会長。

サイレント・ブックを知っていますか?

日本では「文字なし絵本」などと呼ばれ、安野光雅さんの『旅の絵本』(福音館書店、1978)をはじめ、1970年代から絵本の表現形式として親しまれてきたものです。遡れば、絵本やアニメの元祖といわれる12世紀の絵巻物『鳥獣戯画』だって、サイレント・ブックといえそうです。

でも2000年代以降、日本では、「絵本を読む」というと、読み聞かせをイメージすることが多くなりました。文字なし絵本は、「読み聞かせがしづらい」、「どう読んだらいいのかわからない」などといわれ、あまり数が増えていないのが現状です。

ところが世(shi)界(jie)的には、この10年ほど、欧米を中(zhong)心(xin)にサイレント・ブックの力が注(zhu)目されているのです。
 移民の問題とも関係があります。サイレント・ブックには、その国の言語が読めなくても、言葉ではなく絵を通して、絵本を楽しめるという力があるからです。

国境を越え、固有の言語を超えて、通じ合えるサイレント・ブック。文字の読み書きに困難を抱える子どもたちも、豊かな物語の楽しみを受け取ることができますし、大人も子どももいっしょに楽しめる、さまざまな意味でバリアフリーの絵本といえるでしょう。

でも、それだけではありません。この『イエローバタフライ』という、ウクライナから届いたサイレント・ブックには、特別な力がこもっているようです。

イエローバタフライを読む

イエローバタフライ  オレクサンドル・シャトヒン作 
真っ黒な表紙。文字と蝶々と舞い散る鱗粉だけが、まばゆい黄色。この絵本に描かれているのが安穏とした物語でないことは、一目でわかります。

開いてみると、見返しも黒。闇のなか、羽ばたく黄色い蝶たちにいざなわれ、本文ページに向かいます。

最初の見開きも黒。こするように塗られた粗いタッチが、いっそう胸をざわつかせます。ページをめくるとズームアウトしていき、黒い物の正体が見えてきます。どうやら鉄条網らしい。そして、その向こうに、鉄条網で視線を遮られた子どもの姿が浮かび上がります。

画面いっぱいに張り巡らされた刺々しい柵の、子どもの側に立つと、今度はその鉄条網が激しく変形し、大蜘蛛に化身して、子どもに襲いかかります。必死で逃げる子どもが、つまずき転んでしまい、絶体絶命と思われたそのとき、黄色い蝶が現れます。
そこから蝶に導かれ、子どもといっしょに私たちは、さまざまな光景を見ていくことになります。

ここはどこなのか。この子はだれなのか。生きているのか。黄色い蝶はなんなのか。具体的な説明は、一切ありません。叫びも悲鳴も怒号も、文字で書かれていない、サイレント。目で見て感じて、心の耳で聞くだけです。

それが痛いほど、心の鼓膜を振るわせるのです。なにが起きているのか、どうしてなのか、人々は、子どもは、そこでどんな気持ちなのか、自分に次々と問いながら、ページをめくることになります。
2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まりました。ウクライナ東部の街に妻と幼い子どもと暮らしていた作者、オレクサンドル・シャトヒンは、この『イエローバタフライ』を、侵攻開始から1ヵ月のうちに描いたそうです。

サイレント・ブックは、言葉にならない強い思いを、言葉を介さずに、心に生のまま届ける力も持ちうるのだと、この絵本を通して、あらためて実感しました。

この絵本では、終盤まで世界は真っ黒で、蝶だけに黄色が差されていました。荒んだ光景や、黒と黄色の危ないコントラストに、胸はずっとざわついたままでした。でも、終わりに近づいたところで、たくさんの蝶たちが集まり、黒く覆われていた空が、澄んだ空色に変わっていき、心の煤が取り払われていくように感じます。

最終見開き、空色と黄色の世界をみつめる人々の後ろ姿には、ウクライナの希望が象徴されていると思います。
Illustration © Oleksandr Shatokhin

平和と自由への祈り

シャトヒンは、2022年6月、この本の英語版に寄せて、こんな言葉を書いていました。

 「……わたしの本は、戦争のあと、つまりわたしたちの勝利のあとも、人生は続き、すべてが復興され、新しい平和なウクライナに暮らすことができるという、確信であり、希望であり、信念です。
そしてそのとき、この戦争で亡くなった人々の記憶は、わたしたちの受けた傷を癒やし、黄色い蝶々は自由なウクライナの空を、自由に舞い飛ぶことでしょう。」

西洋絵画でも日本でも、蝶は人の霊魂の象徴とされてきました。

でも、この絵本をどのように解釈するかは、見る人によって違いますし、作者からも委ねられた自由こそが、サイレント・ブックの醍醐味でもあるのです。

だから、ウクライナの戦争が終結し、過去の話になっても(一刻も早くそうなることを願わずにはいられませんが)、『イエローバタフライ』は、平和への希望を抱く普遍的な絵本として読み継がれるのではないでしょうか。

世界のどこかで、青空が見えないで苦しんでいる誰かに想像を巡らせる本、そしてその誰かに寄り添い、味方になってくれる本だと思います。
オレクサンドル・シャトヒン
『イエロー バタフライ』は、2023年のボローニャ国際ブックフェアで話題となり、アメリカの著名な書評誌 Kirkus Reviewsが「挑発的で力強く、息をのむほどに美しい」 と評したように、世界的に注目を集めています。
本書の売り上げの2%は、The universal reading foundationを通じて、ウクライナの子どもたちに本を贈る活動に寄付されます。
ひろまつ ゆきこ

広松 由希子

Yukiko Hiromatu

編集者、赤ちゃん文庫(ku)主宰(zai)、ちひろ美(mei)術館学芸部長を経て、現在フリーで絵(hui)本の文、評論(lun)、翻訳、展(zhan)示企画などを手がける。国(guo)内外の絵(hui)本コンペの審...